撮影日記


1997年05月05日(月・祝) 天気:かすんだ晴れ

「撮影」ってなんだ

最近,「撮影日記」の執筆ペースがはやく,しかも量が多い。
 ベランダに出ると,クロユリとスズランがまだ咲いている。隣の部屋の風鈴がやかましいので,ちょっと早いかなと思いながらも,もっと大きな音の出る風鈴を出してやった。
 すっかり初夏である。

先月のことになる。「マミヤユニバーサルプレス」を愛用されている方からメールをいただいた。例のオンラインフォトマガジン(1997年04月20日の日記を参照)での「少し離れてピントグラスを見ることで,そこに写った被写体を絵として見ることができる。」という私の発言にたいへん共感していただいたとのことである。これは非常にうれしかった。共感してくださる方がいらっしゃるということがわかり,自分の考えに少しは自信をもってもいいのだろうと思うようになった。

この方はさらに次のようなことを述べていた。

「撮影とは,四次元の世界を二次元に切り取ることだ。」

写真や絵画は,三次元の事物を二次元のフレームにおさめる技法であると,漠然と思っていた。時間軸のことをとくに意識していなかったことに気がついたのである。あらためて指摘されると,撮影における重要なポイントを忘れていたような気にさせられる。
 また新鮮な気持ちで撮影に臨めそうだ。

ゴールデンウィーク前には,ステレオ写真を研究されている方々からメールをいただいている。この人たちのウェブサイトを見せていただくと,ステレオ写真を撮影されている方が非常に多いことに気がつく。彼らは,四次元の世界を三次元に記録することを試みていると言えるだろう。

では,ムービーはどうであろうか。ムービーでは時間軸の流れをそのまま記録することができる。
 しかし,ムービーで記録できる時間軸の長さは有限である。そのため,ムービーにはストーリーが必要なのだろう。はじめと終わりが明確になっており,かつ見る人はその前後の物語を自分でつくりだすことができるのだ。
 ヴィム・ヴェンダース監督作品「リスボン物語」で,フリッツが道を誤ったのも,時間軸の存在を忘れてしまったことにあるのではないだろうか,と今さらながら思う。

Nikon F-801, AF Zoom-NIKKOR 35-70mm F3.3-4.5, XRG100

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